“MY MEMORIABLE TRIP” – 記憶に残る旅 – 小笠原 沈船ダイビング

“旅”という言葉から何を連想するだろうか。
空の旅。列車の旅、私のような水中を主戦場とする写真家にとって多いのは船旅かもしれない。

今回の旅は小笠原諸島、父島。

東京、竹芝桟橋より定期船「おがさわら丸」に乗船して24時間。空港はなく、訪れるのはこの定期船しかない事から海外より遠いと揶揄されることもあるが、その結果からか、”世界自然遺産”として独自の生態系を築いていることは周知の事実である。この小笠原に訪れることが増えた私は、小笠原村観光局の認定する小笠原アンバサダーにも登録されている。

即ち、小笠原の魅力に取り憑かれている一人なのである。

小笠原を語る上で欠かせない、海のアクティビティに参加することで出会うことのできるイルカたち、春夏秋冬、時期をずらすことでザトウクジラやウシバナトビエイの群れなど季節に応じた生物との出会いも魅力的で、訪れる人々を虜にしていく。

しかしながら、この小笠原にはもう一つの顔がある。

私がベースとする父島は、太平洋戦争の激戦地として知られ、「硫黄島からの手紙」など映画化もされた硫黄島の中継地点として要塞化された歴史がある。(硫黄島の住所は東京都小笠原村硫黄島、小笠原の一部である。)

父島要塞と呼ばれたこの島には現在も陸上戦跡が点在し、専門のガイドが案内してくれるツアーが存在している。同じように水中にも空襲などを受けた沈没船が存在し、ダイビングやスノーケリングで訪れることのできる数としては、日本で最も多いのだが、残念ながら小笠原の沈船(レック)はほとんど知られていない。

私はここ数年、父島で沈没船の研究をライフワークとしている「小笠原フィッシュアイ」オーナー、笠井氏の協力のもと、毎年沈船の撮影を行なっており、それらを撮影する度に私の記憶に刻まれていく。

船上より撮影をする戸村裕行(撮影:青木優子)

防水性能の優れたストリームトレイルのバッグは水辺では心強い味方でカメラやレンズなども収納している。

父島・二見港の海底37mに眠る零式艦上戦闘機五二乙型。現地では、硫黄島近辺の敵艦隊を攻撃した神風特別攻撃隊第二御盾隊の一機が離陸に失敗し海に墜落したといわれており、 昭和20年2月24日に硫黄島銃撃に発進した二機のうちの一機と思われる。

兄島・滝ノ浦湾、水深25mに眠る。通称「中沈」と呼ばれている船首。

志摩丸を撮影する戸村裕行(撮影:青木将人)

志摩丸にある機銃弾。兄島・滝ノ浦湾水深45mに眠る志摩丸は、小笠原で最も深い沈船となり、通称「深沈」と呼ばれている。多くの武器弾薬、セメント袋やビール瓶など多くの積荷が現在も残ったまま。

ダイバーが照らして撮影をしているのは航空魚雷と見られるもの。父島・二見港の水深18mに眠る第二號日吉丸には他にも航空機のエンジンなどがあり、航空機に関連する荷物を積んでいたと考えられる。

水中に眠る「戦争遺跡」終戦から75年を経過した現在も当時の面影を残したままであるものの、経年による劣化に加え、ここ数年は自然環境の変化、台風、地震などの影響を受けることで崩落などが多く見受けられ、その姿を保つことが難しくなっている。こういった沈船を潜る際は、亡くなられた方々がいるという事実を忘れず、鎮魂の想いと共に潜る。もし、この話を読んでくれたあなたが何かを感じてくれたのであれば、実際に潜り、あなたの「記憶の残る旅」にも加えてみては如何だろうか。

水中写真家・戸村裕行
1982年、埼玉県生まれ。世界の海を旅して様々な水中景観を撮影し続けている写真家。ライフワークとして、第二次世界大戦(大東亜・太平洋戦争)に起因する海底に眠る艦船や航空機などの撮影を続けており、ミリタリー総合誌月刊『丸』にて連載を担当。それらの成果として靖國神社遊就館を筆頭に日本各地で写真展を開催、テレビや新聞など多くのメディアで取り上げられている。主な著書に『蒼海の碑銘』。講演、執筆など多数。ストリームトレイル、ノーティカムジャパン、モビーズなど、各ブランドのアンバサダーなども務める
Official Web Site (https://www.hiroyuki-tomura.com/)
公式 instagram (https://www.instagram.com/tomkkuma/)
公式 Twitter (https://twitter.com/tomkkuma)